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Act.01 導師の課題 (01)


   ◆ ◇ ◆

 春の柔らかい陽射しを受けて、木々は淡翠の葉を一斉に芽吹かせた。風は微かな湿気をおびて暖かく、甘やかな花の香りを運ぶ。
 子供達の歓声も聞こえる。この一番美しい季節に、彼等は元気一杯にはしゃぎ回っていた。まぁ遊びを満喫する天才達は、何処でも何時でも何にでも興味を示し、感動し喜ぶ。
 そんな声の聞こえる木陰の下、影が動いた。しばらくゴソゴソ動き、それきりで、気持ち良さげな寝息が後を追う。誰か昼寝を楽しんでいるらしいが、黒い服を着ていて、日向と木陰の明暗に紛れ、見失う。
 実際、間違えられた。
 子供達は鬼ゴッコに夢中になって、一人が木の後へ隠れようと陰下へ走り込んだ。と、柔らかいモノを踏み付けてバランスを崩し、カエルでももう少しかわい気がありそうだと思う「ぐゥえっ」悲鳴に驚いて振り返った。
 ちょうど、黒い影がモソモソ起き上がったところだった。
「あ……すいません!」
 子供は悲鳴じみた声を上げた。自分が踏み付けてしまった相手は、かなり年上だが大人でもない、黒髪の青年だった。しかし問題はそれではない。彼が黒衣を身に着けている、その1点である。
 彼は『学舎』の最上級生だった。
「ごめんなさい、気が付かなくて……いえ、そうじゃなくて……」
 しどろもどろになった。黒衣の青年は軽く咳き込みながらも手を振って「大丈夫」こもった聞き取り難い声で言う。寝グセのついた髪を掻き回し、眩しそうに子供を見上げた。
 間があった。お互いに、沈黙している。子供は上級生が何か、例えば怒るとか文句をつけるとか、何か言うと思ったのに、青年は子供を、もしくは子供の着ている白い服を見ながらゆっくり瞬きを繰り返すだけ。初等学生の制服が、そんなに珍しいだろうか?
「……あの……本当に、すいませんでした」
 子供は恐々る謝罪する。青年は「いや」軽くもう一度頭を掻くと、唐突に聞いた。
「今、何時?」
 あまりにも唐突で短い質問に、子供は聞き違えたかと焦った。混乱する心臓を必死で抑え、質問の内容を反芻し、答える。
「休み時間です」
「……え?」
 意味が通じなかったらしい。何時から寝ていたのだと怪しみつつ、言い直す。
「午後二刻(三時頃)の、休み時間です」
 上級生は目を見開いて「おや、まあ」うめいた。その背後で、一際巨大な影がノソリと起き上がる。
「目が覚めましたか?」
 子供は心底驚いて影を見上げた。それは猫だった。厳密に言うと猫ではないのだが、巨大化した猫が喋ったのかと思った。毛並みは茶地に見慣れぬ黒い斑模様で、耳も猫というより鳥の翼のようだ。何より子馬並みに大きく人語を操る猫など、いる筈がない。
 でも猫だと思った。
 その認識の誤差が、子供に真実を思い出させる時間を多めに要した。
「約束の時間はとっくに過ぎました」
 猫はまた喋った。蒼水の貴石みたいに奇麗な瞳は黒衣の青年を見据えている。青年はボンヤリ猫を見上げ「……今日だっけ?」馬鹿な事を言った。猫の目がスッと細くなる。
「しっかりなさい、リザオ・ムスターニ」
 それが決定打だった。
「リザオ・ムスターニ!」
 子供は今度こそ悲鳴を上げて逃げ出した。成行きを見守っていた他の子供達も叫びを聞いて走り出し、リザオが昼寝を堪能していた木陰のある広場は、あっという間もなく無人になる。蜘蛛の子を散らすような、という形容がピッタリな、見事な逃っぷりである。
「悪名が、鳴り響いてますね」
 猫は驚かなかった。呆れてもいない。ただ事実をありのまま述べた。その横顔をリザオは恨みを込めてねめつける。
「わざと仕向けたくせに」
 リザオは今度こそ目が覚め、不機嫌になっていた。彼は姓名付きで呼ばれるのを嫌う。名を聞くと大抵の人間が及び腰になるか高飛車になるかで、良い事がない。最近では逃げられる始末だが、これに関してはリザオ本人に非がある。ただし、彼は自覚していない。
「親の職業が何かって、そんなに重要なのだろうか……?」
 リザオは優しく旧い友人、今では辛辣で毒舌の忠実な従者ミトランシャーネを見上げ、溜息を吐いた。
 リザオは代々有能な魔道士を多く輩出するムスターニ家の末っ子である。もとは国を持たぬ流浪の民であったが、祖父がキャディル王国の王宮附き魔道士に取りたてられたのを期に、その王都へ居を構えた。リザオの父も王宮魔道士として高名を馳せており、兄姉達も優秀な逸材として各地へ散っている。
 リザオが『学舎』へ入門するにあたり、周囲には並々ならぬ期待と嫉妬が高じた。彼の一挙一動が中傷の的になった。言い様は色々あったが「ムスターニのくせに」で集約できる。幼少の少年がどんな抵抗を試みたかは不明だが、入門して一年も経たず、仏頂面の無愛想で、滅多に口も聞かない子供になった。
 ミトランシャーネは少し険を落とし、物言いも穏やかに主人と定めた相手に言う。
「判りかねます」
 返答に一片の救いもなかったが。
 学舎へ入門して2年後、「リザオ・ムスターニの世話をする」と従者ミトランシャーネが押しかけた。学舎は基本的に寮生活で、各々に自活している。本来ならば承認されない申し出であったが、特例であった。
 ミトランシャーネは霊妖と呼ばれるとても貴重な生物だ。古代には神々の騎獣であったと言われる伝説上の聖獣で、現在には生息していない、筈であった。それが「ムスターニ家の末息子の従者」として突然に現れて、学者達は肝を潰し、学舎側の対応も遅れ、つまり猫の従者は慣例を無視して居座った。
 一連の騒動は新たな誹謗を呼び、結果、リザオの無愛想に磨きがかかった次第である。
「御師様が、お待ちです」
 従者は慇懃に主人を促す。が、当のリザオは「起こしてくれても良かったのに」「もう少し寝ていたい」等々ブチブチ言い募る。実際は従者の腹を枕に寝ていて、何度も起こされたのに、本人がまったく起きなかっただけだ。
「駄々をこねるも、いい加減にして下さい」
 従者の声にまた険が出る。さすがの剣呑な雰囲気に、リザオはようやく諦めた。溜息と共に立ち上がり、ふと師ウィードの執務室からここまでの距離を考える。
 リザオは従者を見上げて提案した。
「乗せてってよ、トラ」
「その名で呼ばないで下さいッ!」
 思わぬ悲鳴になった。
 従者は、愛称で呼ばれるのが嫌いだった。
 ……まぁ世の中、そんなモノだ……

   ◆ ◇ ◆



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